野﨑繭
個展「Applepie Lesson」


 

会期/ Period

2026/7/4, 5, 11, 12, 18, 19, 25, 26, 8/1, 2
13:00〜19:00



※菊野たから個展と同時開催

▶︎ 菊野たから個展情報



会場/ Venue

Token Art Center 1F


入場料/ Admission
¥500 with tea
(菊野たから個展入場料含む)


イベント/Events
7/4 17:00-19:00 オープニングパーティ

アーティストステートメント/ Artist Statment

私はこれまで、自らが役に扮し、パフォーマンスをし、またそれを自らで撮影して編集するという作品制作を行なってきた。これは行うことで考えるという実践であり、アプローチである。これは私が長らく研究・実践している西洋近代魔術の作法に基づく。
近代魔術には大きな特徴として「儀式」という要素があり、ここでの儀式とは、形の無いよくわからないものを身体というメディアを介して現実世界に落とし込み理解を試みるアプローチの⼿段である。このことについて、近代魔術の体系を作った中心人物であるアレイスター・クロウリー(Aleister Crowley,英,1875~1947)は「魔術的な知とは、簡潔に表現するなら、「身体的実践によってコントロールされた無意識の知」と述べている。【1】私はこうしてパフォーマンス、撮影、映像編集までを一連の動きとし、自身の体験を異なる構造と照らし合わせ、そこに何があったのかを描き出すことを試みてきた。【2】
極私的なことから発展する作品は、私⼩説的に⾒られることは少なくない。しかし、個⼈が感覚する社会は多様に分化し、普遍⼀般という概念を共有することは今や難しく感じる。社会とは、個⼈が感覚する認識によって形づくられるものであると考えられる中で、個⼈は同時代性を映し出す⼀種の環世界だと捉えることが出来るのではないだろうか。私的なものの中に社会の余波は存在しており、その中で⾃⾝の問題解決に努め⾒える世界を良くしていくことは、⾃らがいる場所への信頼を取り戻す⾏為であるとも⾔えるのでは無いだろうか。
私はそのことを「セルフエデュケーション(Self-Education)」とし、自らが執り行うワークとして今回の作品を制作した。これらは、想定外の出来事や状況に直⾯した際や、⾃⾝の知らない世界を⾒なければならないとき、⾃分の⾜で⽴つための知的な肺活量・体⼒・筋⼒となってくれるはずだ。これは、誰かに強いたり説く訳ではなく、自らで行うことこそが最も重要だと考えている。
私はこのセルフエデュケーションを「魔術と芸術」「個人的なことと社会的なこと」という軸から考えている。今回展示する作品である《Applepie Lesson》は「家族」という小さい共同体の中で、世代を越えて受け継がれる記憶を紐解いていくために、⾃分に課したレッスンである。記憶はどこからやってきて、何に原因があり、どうして影響しているのか、辿ることが難しい。トラウマ(PTSD・心的外傷後ストレス障害)を長年研究しているベッセル・ヴァン・デア・コーク(Bessel van der Kolk, 蘭,1943)は、「トラウマとは「何が起きたか」ではなく、「それによってどんな影響が残ったか」だ」と語る。【3】自分にとってのそれは「家庭」にまつわるものである。私と家族は、一緒に旅行も行けば食事を共にするために予定を立てたり、朝までカラオケではしゃぎ一緒に湘南乃風で踊れるくらいの関係性でもある。しかし、今現在の状況がどんなに良くても、ずっと昔に遠くで失ったものを思う悲しみを治療することはとても難しい。その原因は見ることも語ることもできず、もちろんのこと触れることはさらに困難である。治療や寛解を目指すための道のりには、いくつかのメソッドがあるが、一方で個別化されたアプローチが推奨されている。先述したように自分にとってのそれは「作品を作ること」と「魔術的なもの」が主な軸となっている。
それに加えて本作は、「運転すること」は、個⼈を社会化していく⾏為であると捉え、そのプロセスを作品化したものである。
必ず他者(他車)がいて⾃分(と自車)だけになることが出来ない公道という環境の中で、私たちはどのようにハンドルを切っていくべきなのか。このことについて今一度考えることは、個⼈のみで存在しているわけではない社会・家庭・存在の状況を考えるための有効な⼿⽴てとなるのではないだろうか。
私は一年前、運転免許を取得した。運転は楽しいし、車も好きだ。しかし全くもってうまくはない。公道に出ているとき、私はいつも思う。「今自分が変なハンドルを切ったらここではたくさんの人が死んでしまうのに、なぜみんな私を信じてくれるんだろう」と。(その逆もまた同様であり、私のすぐ横を走る車が本当に信用に足るのかどうかを改めて考えると背筋が冷える)つまり私たちのいるこの道路は、自分の身の安全を守ることが他者の安全を守ることにも自然と繋がっていて、理性ある全ての人々による暗黙の了解の上で成り立っているものであることに思い至った。そして私はこれを高度に社会化された行為と状況であると考えた。
私はこれまで、過去のトラウマ的な体験から社会性を欠いた行動をとってしまうことがあり、それによってままならない事態すら招くことがあった。しかし自分が大人になるにつれて、実は多くの人に助けてもらい、待ってもらい、許してもらって生きてこられたことを実感していった結果、自分が健康で良心的であることは他者の健康や良心を侵さないためになることを知った。そしてこの気づきと同じことが、運転でも起きていると感じた。運転をすることで、自分に足りなかった社会性と、失敗して改善しようと試みたことを再考することが出来た。車の運転は、単に実利的な性質を越えて、個人を映し出すことができる鏡だと思う。今回の作品は、運転に隠された関係性の手立てを内面化するため、自分に課したレッスンである。
また本作では、映像編集作業を身体的なものとして考え、トラウマとの対峙、またはその回復における⼼理状態を反映する⾏いになっている。映像内で⾏うパフォーマンスを、体を使って内⾯化させる工程(プロセス)だとすると、編集作業はその客体化作業とも⾔える。
人は日々、体験した出来事の羅列を知らず知らずのうちに心的に編集することで記憶している。トラウマとは、その中にある手付かずのRAWデータのようなもののように思える。そして私は本作を通して、編集できていない情報を元にした行い(パフォーマンス)と、そこでの心理状況を重ねた編集の仕方を用いることで、記憶の再編集を試みているのである。思い出したくないことや考えたくないことであっても、ファニーな編集を加えれば自分の中の捉え方も同様に変えることができるかもしれないから。
演じ、撮影し、編集をすることを、全容を見ることができない記憶の荒野を繋げ直す行為として行なったのが、今回の作品実践である。
これが、「作品をつくること」を通して物事を把握する私のセルフエデュケーションの手つきであり、個別の処方箋なのだ。
【1】アレイスター・クロウリー著,訳・島弘之『魔術-理論と実践』国書刊行会,1997
【2】最終的な展開である上映環境も近代魔術の作法に基づき、空間のしつらえを構成した。これは私が行なった行為が、より良いものになることを願ってのことである。
【3】ベッセル・ヴァン・デア・コーク著,訳・柴田裕之『身体はトラウマを記憶する-脳・心・体のつながりと回復のための手法』紀伊国屋書店,2016


野﨑繭


作家略歴/Biography

野﨑繭 Mayu Nozaki


2001 千葉県生まれ。射手座。
2024 東京藝術大学 美術学部 先端芸術表現科 卒業(2020-)
2026 東京藝術大学大学院 映像研究科 メディア映像専攻 修了(2024-)

展示
2020 still live /ゲーテインスティトゥート東京
2022 個展「膚虜」/ rusu Gallery 目黒
2023 中嶋夏希・野﨑繭による 2 人展「開かないクープと溶けない砂糖」/文華連邦
2024 令和5年度第72回東京藝術大学卒業・終了作品展
2024 大西茅布、野﨑繭、平間ミーナによる3人展「舌の形をした火」/ogu mag 田端




《THE BIGBANG TOWER#1(Exercise for the construction of a new tower,or process for believing in the possibility of construction. 2025,01 video)》2025
video,facility 4分17秒 ループ再生 撮影・出演協力 田上結梨佳



《JUST ONE MORE KISS》2023
video,facility,variable
‹Chapter1.DREAM&DREAM› 4分17秒 ループ再生
‹Chapter2.You become responsible forever for what you've tamed.You responsible for your rose.› 4分17秒 ループ再生
‹Chapter3.Became a STAR› 4分17秒 ループ再生
撮影・出演協力 田上結梨佳、佐藤みなみ



《A Playing Mantis Love Story》2023
video 4分17秒 ループ再生
撮影・出演協力 田上結梨佳



《獣帯》No.1〜No.93 No.2 By the Sea 2021
刺繍作品93点 187mm×257mm